SAN JOSE通信Vol.5

 

今回は非常にプライベートな内容で恐縮ですが・・・。

日本にいた頃に、こちらでの生活を色々想像していました。思い描いていたのは、パパが早くに帰ってきて、子供たちを風呂に入れ、夜は夫婦の時間たっぷり。母たちの時代は、そうだったらしい。留学と仕事の違いでしょうか?渡米直後、パパは7時には帰宅していました。皆で夕ご飯を食べ、パパが子供たちを寝かしつけ、その後はゆっくり夫婦でワインと会話。「あぁ何てすばらしい生活なの〜」と思っていました。しかしそうは問屋が卸さない、理想的な毎日は1週間で終止符。ある日パパが、「そろそろ良いかなぁー?」と言って、遅く帰る様になりました。どうやら早い帰宅は、パパの私への気遣いだったらしいのね。この日から、子供たちがパパに会えるのは朝だけという、日本と全く同じ生活開始。一番問題なのが、やはり風呂の件。どうやって、この風呂で二人を入れようか・・・。試行錯誤をして行き着いたのが、BATH GEL。そうです、湯船が泡々になるやつ。まずBATH GELを入れてお湯を溜め始めると、湯の勢いでGELが泡になります。子供たちの言葉を借りると、「すっげーアワアワ」です。その中で遊びながら体を皆で洗い、時間が経って段々泡が消えてくる時がチャンス、一旦栓を抜いて体の泡を流して洗髪、もう一度湯をはって温まってあがる。追い炊きもなければ、サーモスタット機能で、途中から出てくるのは水のみになったりして寒い思いすることも多いですが、もう仕方ない。こちらはシャワーの国なので、当然お湯をくむ桶も無い。でもシャワーを怖がる(日本では大丈夫だったのに、こちらのシャワーはホテルのように高い位置に固定されているため子供たちには水圧がかなり恐怖らしい)子供たちのために、日本で料理に使っていた100円均一のBOWLを、旦は青(彼は物心ついたときから青が好き)・言は黄色と一人一個渡して、泡を流すのに使っています。まあ不便ではありますが、一応この方法に決まり。GEL導入後は、「お風呂はいろうかー」と誘うと、「あわあわあるー?」と叫びながら、泡が消える前に入らなくちゃならんと飛んでくるようになりました。

日本では、家族4人布団で川プラス1の字で並んで寝ていた私たち。こちらでは大きなベット二つなので、一部屋には納まりません。二部屋に分かれることになりました。どう分かれるか色々な案があったのですが、結局、パパと旦・ママと言という組み合わせになりました。平日はパパの方のベットで3人で寝て、子供達が寝入ったら言をママのベットへ連れて行きます。パパたちのベットは、カリフォルニアキングといって、丁度布団2枚分と同じサイズ。私たちのベッドは、クイーンサイズ。それぞれのベットには、子供側にだけベットガードをつけています。寝相が悪い(らしい)私としては、お願いだから私の横にもベットガードつけてーと心中叫んでいたのですが、購入先がトイザラスだっただけに声には出せませんでした。今の所まだ落下していません。

 

トイザラス・・・日本でも誰でも知っていますよね。日本のトイザラスは、おもちゃは勿論、おむつから洋服まで子供関係は何でも扱っていますが、こちらはちょっと違います。トイザラスはその名の通りTOYがほとんど。洋服が見たければキッズラス。赤ちゃんの物はベビザラス。そうです、この国トイザラス・キッズラス・ベビザラス3種類あるんですね。当然アダルタラスはありません(さぶっ)。

 

とにかく毎日、セールスの電話や家にやってくるセールスマンが多い。電話はまず、必ず「Hi!How are you?」なんて親しげに言うものですから、「I'm

fine.」とつられて言っちゃって、話が始まってしまう・・・。日本語ならはじめっから「結構です」と、強気に切れるのに。しかも非常に早口で、ほとんど分からない。「もしかしたら重要な用件かも?」と思うと無下にも切れず、結局「雄一はオフィスにいる。私には分かりません。」ということに決めた。大切な電話だったら、ちゃんとパパのオフィスナンバーも知っているだろうから彼にかけるでしょう。我ながらいい案・・・ごめんねパパ。しかし避けられないのが訪問セールス、こちらも非常に多い。そして今の所男の3人組ばっかりで、夜が多い。初めのころは結構ビビッていました。日本ではモニターがあって居留守を使えたけど、こちらには無いので、覗き窓から覗いて出るのやめようかと思っていると、人との交流に飢えている旦が、「はーいはーいっ」と叫んで気さくにドアを開けてしまう。仕方なく対応する羽目に・・・。看板のセールスやペンキ塗りのセールス、宗教の勧誘・・・色々あったけど、半分くらいは何の用だか分からなかった。結局「この家は借り物なので、あなた方のセールスは受け入れられない」と言うことに決めた。最後は、子供たちが盛大に「BYE BYE----!」という声で見送って終わり。恒例行事になってきた感じ。ある時はピザの間違い配達なんかもあったなぁ、これ日本と同じね。もう一つ、間違い電話も多いいし、無言電話も多かった。これにはいい加減頭にきていたので、最後のほうは文句を言ったりしていましたが、どうやらパパのCELL(携帯電話)からかかっていた模様(^^;)むき出しで胸ポケットに入れていたから、短縮ダイヤルがしょっちゅう押されていたらしいのね。週末に、ウエストにつけるタイプのCELL COVERを買いました。これで大丈夫でしょう。

一番の懸案事項だった、旦のキンダーの申し込みは済ませました。申込書を書くのに、前日夜の2時過ぎまでかかってしまいました。パパと相談しながら、一つ一つ丁寧に記入。申し込み用の書類も多いのだけど、親の学歴、年収、父親のフルネーム・勤務先、母親のフルネーム・勤務先,育てているのが両親ではなく後見人の場合その者の名前・勤務先・連絡先記入欄、学校のホームページに子供の顔を載せてもいいか?とか、生徒は何人か?とか(日本人はASIANというくくりに入れられてしまう)、家では何語を話していて、英語はどのくらいはなせるか?とか・・・。添付書類は必ずIMMUNIZATION HISTORY・PHYSICIAN(かかりつけ医)とDENTISTの連絡先そしてPHYSICIAN記入のREPORT OF HEALTHが必要。日本とは随分と違う内容。ここに住み暮らしている人々の、様々な背景がうかがえる。さすが人種のサラダボールですね。同じなのは、子供の長所・短所・家庭での教育方針・園への要望とか。私たちが記入する際に気をつけたことは、@喘息A薬アレルギーBキウィアレルギーC旦は英語を話せないが、彼の長所や愛すべきキャラクターを理解してあげて欲しい・・・という事。全く親って自分の子供のこととなると必死ですね。翌日無事に入園許可もらいました。しかしこちらの新学期は9月からなので、その前にプレキンダーを探さなくては。アポを取って話を聞いたりしないと。今の所、2箇所見学させてもらいました。比較のために、あと1箇所見る予定。そしてすぐにでも行かせてあげたいです。そしてその後は、SUMMER SCHOOLも探さないと。彼には色々経験させてあげたい。もちろん、言もその年齢がきたら同じようにしてあげるつもりです。当面は旦がプレキンダーに行くようになったら、私もESLにでも行こうかと考えています。

 

こちらに来て、旦・言はベネッセの「こどもチャレンジ」をとることにしました。日本から航空便で届きます。こちらは荷物の配達に、受領のハンコなんて押しません。ピンポンが鳴ったなーと思って玄関へ行くと、マットの上に荷物がポイッという感じ。不在でも勿論同じ。新聞はもっとすごいの。日経の国際版を購読していますが、夜(これはパパが当日に配達じゃなければに購読しないと言ったから。それまでのモニター期間は2・3日遅れての航空便でした。新聞の意味なし・・・)、前庭付近にほうり投げられている!車で敷地内に入ってきて、車の窓からほうり投げるのを目撃しました。ついさっき、鎌倉の母から乾物類などが届きました。ありがとうれしかった!!このときは、初めて受け取りのサインをしました。電子手帳のような物に、入力用のペンで画面にサインします。荷物クラスになるとサインをするのでしょうか?

 

公園事情は日本と同じ。ある一定の年齢に達するまで子供は親と行動という国、ちなみに12歳以下は子供のみで留守番させると親が法的責任をとることになります(日本での旦は、子供たちだけで家の前で遊んだり、一人で留守番させたこともあります)。当然子供たちは親の監視の下、公園でノビノビ遊びます。私も、日本にいたころよりも真剣に一緒に遊びます。良い気分転換になります。NYの友人は、こちらと違うと言っていました。公園は母親ではなく、ベビーシッターが連れてくるのだそう。皆働いているのでしょうね。母親がついてくるのは、日本人駐在妻くらいなものらしい。住む地域によって随分違うのねぇ。初めて休日に家族で公園に行った時は、母親たちの姿はなし。連れてくるのは父親でした。これも、日本っぽくて高感度大!!以後休日の公園は、パパにお願いすることにしました。すると、パパ同士でお友達になったりと効果大。私よりも数倍英語力のあるパパなので、逆に異国のお友達も出来やすいのでしょう。

 

管理会社のDONNAさんの仲介で、この家の持ち主の娘ポーラ登場。ガレージのキャビネットを持って帰りたいとの事。それから更に、husband(多分)が屋根修理。こちらの人は何でも自分で修理するって聞いていたけれど、屋根まで自分たちが修理するなんてすごい。その間にポーラのMAM車で登場、借りている当の本人で緊張はしる私たち。彼女が車から降りてくる間にポーラが「MAMは少しぼけてきているの。でも車は運転できるのよ」と囁く。「へ〜っ、そうですか〜」と受け答えしたものの、「マジデスカ?コノ国はそういう人が運転している車もありなんだ。コワッ」と思ったものです。降りてきたのは非常に美しいおばあさま、77歳。43年ここで過ごしていたそう。旦に「ここが気に入ったかしら」と話しかけてきて、「うん」と答える旦。するとおばあさんは、サングラスをはずして涙をぬぐいました。沢山の思い出が詰まっているのでしょう。「We enjoy it, Thank you.」と言うのが精一杯。ふと横浜の家を思い出した。気持ちが分かりすぎて、なんと言ってよいものか・・・。おばあさんのためにも、あなた方に貸してよかったわと思ってもらえるように過ごそうとあらためて思った。今まで庭のオレンジは、近所の皆に配っていたらしい。どうりでご近所さんに、「オレンジは食べたかい?」と再三聞かれたと思った。さっそく配らないと!帰り際、もいであったオレンジを手渡した。こんなことなら、もっと採りたての新鮮なやつを用意しとけば良かった。おばあさんは家の中を見たいかしら?と思い「中へどうぞ」と言ったけれど、丁寧に断られました。まだ片付いていないし、子供たちのおもちゃも散乱していたから、見てくれなくてホッとしたのではあります。その後、近所の友達の所へ寄っていました。旦は慌てて「おばあちゃんが帰っちゃうから早く紙出して!!」と、彼はおばあちゃんの顔を書いていました。「おばあちゃんにあげるの!!」でも封をしようとした時、セロテープがなくのりでべたべたになってしまい、悲しげに「だめになっちゃった」としょんぼり。本当に優しいのです。一方言はこの間お昼寝中でした。

 

前回さばを買ったと書きましたよね、あの日実は事件がありました。思い出しても今でも笑えないです。MITSUWAで会計を済ませ、カートに二人を乗せて荷物を車に積み込んでいました。荷物を入れ終わり、カートを戻そうと私がカートを引くのと同時に、旦は「あっ僕の車と同じだ」と他のシエナを指差して立ち上がったのです。あぁーっと思ったときは、もう旦はカートから頭から落下していました。コンッという音と、痛みのせいか顔をゆがませ泣きもしない旦を見て、私は悲鳴をあげて駆け寄りました。旦はショック状態で真っ青な顔をしています、震えました。どうすればいいのか分からなかったけど、とにかく全身状態を確認したく、無理に立たせたり手足にしびれは無いかとか尋ねました。旦はふらふらしていましたが、泣き出しました。泣いたことで少し安心しましたが、打ったのが右側頭部。場所が場所だけに非常に不安でした。慌てて店に戻り電話を借りようとしましたが、「外のGAS

STATIONで借りてください」と言われてしまいました。それなら家に帰ったほうが早いと思い、すぐに二人を車に乗せ帰宅。5分くらいの距離なのに、旦は乗ってすぐに寝てしまったし、もし何かあったらと思うと・・・。悪いことばかり想像して、ドキドキして運転間違えそうでした。すぐにパパに電話するものの、こういうときに限ってつながらない。救急車を呼んだほうがいいか・・・。短い間に色々考え、結局旦のかかりつけの先生に電話しました。小児科だから分からないかな?とも思いましたが(後で知りましたが、必ずかかりつけの医者を通すのが賢明な手段なのだそうです)。まず受付の女性に旦の事故の時間と様子・彼の今の状態を説明、すると「寝ているというのはまずいですね。折り返し先生から電話をします」とのこと。待っている時間の長かったこと。。。10分くらいで先生から電話があり、もう一度旦の事故の時間と様子・彼の今の状態を説明。先生は「夕ご飯は何時ですか?そのときに旦くんを起こしますよね。その時に機嫌よく起きられて、ご飯を食べられたら大丈夫ですよ。しばらく患部を冷やしてあげてね」とおっしゃいました。先生の言葉で少し冷静になり、水枕で患部を冷やし夕ご飯の準備をはじめ、例のさばを焼く。旦が目を覚ますまでの時間の長かったこと。何度も何度も様子を見に行きました。吐いていないかとか、目覚めるのかとか、目覚めてもどこかに異変が無いかとか・・・。ようやく起こしたとき、「ママ僕カートから落ちたね。ママ電話探したね。もう痛くないよ。大丈夫。カートでは立ったらいけないね」と、私が口を開く前にすべて話しました。どんなに安心したことか。もう一度全身のチェックをして思いっきり抱きしめました。そういえば、言ばっかりで旦のことなんて全然抱きしめてあげてなかったなーと思いました。横でやきもち焼いて怒っている言ほったらかしで、長いこと抱きしめていました。しばらくは様子を見るという生活でしたが、あれから3週間がすぎて、変わらず元気そうなので心配ないと思います。その夜何も知らずに帰宅したパパは、話を聞いて真っ青になっていました。きっとその場にいたら、彼のほうがもっと慌てて大事になっていたことでしょう。今回のことは、横浜の家で言が階段の一番上から落っこちたときよりもあせった出来事でした。以後買い物のときは、先に子供たちを車に乗せることにしました。勿論旦はカートでは立ち上がりません。そして、緊急事態が起きたときの対処法をシュミレーションしておこう、と肝に銘じたのでした。

 

いちほ(03/05/02)

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