SAN JOSE通信Vol.50

とっても遅くなりましたが、

 

1月4日、一時帰国から戻って来ました。前回同様、完全な貫徹状態(ありがと、言くん・・・)での帰宅。ただ違ったことと言えば、「何がこれから起きるんだろう?」という不安感はなく、「ああ、帰ってきた〜」という気分になったことでしょうか。一時帰国中は、持家の管理をめぐる事務手続きや残置家財の搬出・健康診断・買い物・ご挨拶・お墓参りなどをして過ごしました。子供達は、おじいちゃん・おばあちゃん・いとこ達とかるたやトランプ、外遊びをしたりして。旦は、帰りのアメリカの空港のイミグレの列に並びながら、「僕日本が好きになっちゃったよ〜」と言っていました(もともと大好きなくせに)。旦くらいの年齢ならば、日本でお友達のことはまだちゃんと覚えているようです。言は、果たしておじいちゃん・おばあちゃんを覚えていたのか不明・・・。

 

1年ぶりの日本は、全く違和感がありませんでした。30年も日本で生活していたんだもの、たった1年くらいじゃ、カルチャーショックなんてあるわけないですよね。一瞬実家や持家がすごく狭く感じられたり、洗濯機がちっぽけな箱に見えたり、キッチンのカウンターがとても低く感じ(ここのキッチンは高さ95センチ)もしましたが、すぐに慣れました。車の左側走行も、カーブでは時折混乱しましたが、自分が運転したわけではなかったので大丈夫。でもお父さんは(今年から「パパ」やめますね。すでに家族で誰もパパと呼ぶ人がいないのですから)しょっちゅうワイパーとウィンカーを間違えていました(^^;)あとは、どこに行ってもタバコ臭いな〜と感じた位かな。家族や親戚に会えたうれしさや、「ボーっとしていても話が分かる」という気楽さは本当に心地よかったです。子供達は、気になっていた七五三を済ませました。羽織・袴を着せてあげられなかったのは残念でしたが、急に決まったことなので、お参りできただけでも両親に感謝(*^^*)

 

orijiki2.gif 110x82 5.21KBクリスマスは私の実家で過ごし、お正月はお父さんの実家で過ごしました。鎌倉・長崎と離れているので、飛行機での移動ですが、いつもは長く感じる2時間弱の飛行が、今回はとっても短く感じました。日本ならではのお正月を味わえたのも、良い時期の帰国。旦は念願のお餅つきのお手伝い(実際は、蒸したてのおこわを食べたり、丸めているそばからドンドン食べてしまっていたんだけど(^^;))をして楽しそうでした。宣言していた通り、旦はこの帰国中に大量の餅を胃に納めました。長崎のzouni1.gif 70x59 2.67KB実家では、1月1日の朝に食べるお雑煮作りは男性の仕事です。義父とお父さんは、先に台所に入って雑煮(具雑煮と呼ぶ)をたきます(と、結婚前からお父さんに聞いていたのですが、実際は、前の晩に義母が材料を鍋の中に入れておいて、翌朝、男性陣が味付けする・・・という感じなのですが(^^;)それでも、何だかそんな慣わしもいいなぁ〜と、しみじみ)。

 

お買い物で嬉しかったことと言えば、コンビニのおにぎりがおいしかったこと(これが一番(^^;))!デパ地下のお惣菜がおいしそうに見えたこと・100円ショップの品揃えに感動したこと・本屋や薬局も楽しかった。気になっていたコンタクトも新調出来たし(お父さんはメガネを新調。今の時代は、メガネの方が格段に高いのね)。「やっておけば良かったな」と思ったことは、旦を幼稚園や近所のお友達に合わせてあげること。時間がとれず、持家には子供達を連れて行けませんでした。最後までこのことが気になっていました。でもアメリカに戻ってきて学校が始まると、時差ぼけで毎朝辛いにもかかわらず、2人とも「楽しかったー♪」とナチュラルハイ状態で、まるで一時帰国よりも楽しい出来事のようです(^^;)それはそれで安心したのですけれど(*^^*)やっぱりお友達が一番なのでしょうね。

 

私個人に関して言えば、七転八倒した年末年始でした(>_<)一時帰国後半は、嘔吐と下痢に悩まされ、下痢をひきずったままアメリカに戻りました。そしてその翌日からはじんましんの嵐。時差ぼけの子供たちとじんましんで、アメリカ生活の新年のはじまり(^^;)お腹から始まって、胸・背中・腕・足・手・フット・指・頭皮・顔・・・・あらゆる所に次々にじんましんが移動し、一生分引っかいた気がする数日(お父さんは「気合で掻くのをやめなさい」って言ったけれど、絶対無理!)。子供達の学校が始まったので、医者に行かずに市販薬(顔までじんましんになった私に驚いて、お父さんが夜中に買いに行ってくれた)でしのごうと思っていましたが、ついに口の中や舌にまで発生してきたので、恐ろしくなり(一応女なので、人前に出るときにサングラスかけっぱなしだったうえに、マスクも装着となると気が重い)お父さんに会社から帰宅してもらって医者に行きました。アメリカに来てから1回も医者にかかっていなかったので、医者探しから始まり。アポが取れたところは、先生は日本語話せるけれども、ちょっと?な日本語。診察だけでは原因が分からないので、「検便3日間」の指令が下りました(^^;)(検便なんて、生まれてこのかた一回もやったことないのに)細かい話は日本語が通じないこの先生、「〜each検便?」「No.All検便〜」などと日本語・英語が滅茶苦茶にまざった話を、大真面目に交わしました(^^;)とりあえず、原因を特定できるまでは、じんましんとかゆみを抑える薬・下痢止めの薬(これは市販薬)を処方してもらったのです。補足として、お尻にステロイドの注射もされました。これ痛かった〜(>_<)現在は通院しながら、検便用の便採取中(汚い話ばっかりでスミマセン)。もともとお通じは毎朝きっちりの私。しかし、いざ出さねばならないとなると・・・出ないんです、これが(^^;)検便は、回虫と菌の検査の2種類分なのですが、私としては「単なる食べすぎ・飲みすぎによる胃腸障害」とふんでいます。おいしい料理の数々を毎食食べまくり、下痢になりつつも食欲が止まらなかったつけだと・・・。まったく新年早々何をやってんだか(>_<)

 

受難は重なるもので、愛車のシエナがパンク!旦をPick upした後、言の園に向かう途中「ボボボ」と大きな音がして、その後はシューシューと何かが挟まっている音がしていました。園についてから挟まっているものを取り出そうとタイヤを覗くと、右後輪のパンク発見。とりあえず言もPick upしてから、恐ろしくノロノロ運転で帰宅しました。道を歩く人や、横を走る車・後ろから追い抜く車のほとんどが、パンクしたタイヤを指差して「パンクしているよ!!」という大ジェスチャー。そのたびに「I know. I know.」と大げさに首を上下に振る私。車に乗っている人たちはクラクションを鳴らして教えてくれるので、旦は「お母さん良かったねー。皆が教えてくれて!」ととんちんかんな喜び様。「そ、そうだね・・・」。確かに親切はうれしいけれど、とっくにパンクしているの知ってるよぉ、今は無事に帰りたいだけなんだよぉ〜(母の心の声)。その日は旦のReadingの学校の日で、こりゃあ休みだわっと思い、お父さんにパンクの報告の電話のついでに「休む」と伝えると、「歩いていきなさい」。うそでしょぉぉぉぉぉぉ〜!!はい行きました、往復3時間半(うち1時間は授業)かけて。ずっと元気に走っていた旦は、久しぶりに夕食を食べながら行き倒れました(^^;)▲道中ベビーカーを押す旦(言、ラクしすぎ!)の図。子供の送り迎えプラス、自分の通院まであるというこの時期に、これまたついてない(>_<)

 

そんなこんなで「冴えない新年の始まりの私」ですが、これは「今年1年を暗示するものではない」と結構楽観視しています。しかしこれらを解決しないと、私の新年が来な〜い!という気分。皆様も、忘年会・お正月で疲れた胃腸をいたわって、新年会などで無茶しないようにお気をつけ下さい。そして、くれぐれも愛車の定期点検はお忘れなく(^^;)

 

いちほ(1/9/03)

 

PS.昨晩夜お父さんとスペアタイヤに交換するする作業をしてみると、パンクの原因は大きなホッチキスが大量に刺さっていました。こんなものを踏むなんて、ホント災難。今朝お父さんが修理工場にシエナを連れていった所、「1年未満でパンクなんて」と同情されたとか。お父さんは、私が招いた災難たちの後始末の為に仕事の時間を大幅に割くことに・・・。後が大変なんだろうな、と思うと申し訳ないです。

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