SAN JOSE通信Vol.71

 

私の両親が12日間遊びに来ていました。1年前にお父さんの両親をもてなした時とは違う、何ともまったりとした日々。2回の週末を挟んでいたので、最初の週末の土曜日はサンフランシスコ観光を。日曜日は裏庭でプールをしたり散髪をしたり・・・とノンビリ。平日は子供達のPick-upの時間を避けて、近場のお店を案内したり。リビングで『母は歌・父はハーモニカ・私はピアノ』と、音楽があふれる日を過ごしたり。お散歩をしたり。またある時は、両親だけでモールの中を自由に楽しんでもらったり。お父さんが忙しくて平日にお休みが取れなかったこともあり、連れて行く予定だった所は軒並みキャンセル。その代わり(?)毎晩が宴会でした。一体滞在中に何本のワインを消費したことか。。。アメリカに着いた翌日、見学を兼ねてCOSTCO連れて行ったのですが、そこで父が10本以上のワインと2ケースのビールを買ってくれました。「多めに買っておくから、後は矢川家で飲んでね」という話だったのだけれども・・・・蓋を開ければ、もともと我が家が貯蔵していたワインも合わせて綺麗に飲みつくして帰られました(^^;)

 

一通り日常生活をお見せしたのですが、スーパーに行けば「今晩のおつまみにはこのブレッドにこのチーズを載せて、他のトッピングにはピクルスのみじん切りとサラミね。それから赤ワインだね。」「このザワークラフトも買いましょ。」「朝のブレッドは、もっと固いこれがいいわね。」「果物はこれがおいしそうだね。」等とすっかり主導権を握られ・・・お会計も握られ・・・・。可笑しな家主とお客さんの関係。そんな事がとっても楽しい毎日でした。

連日繰り広げられた宴会(^^;)

しばらくして、あまりにも日常生活にばかりつき合わせている気がしてきて「申し訳ない・・・」と思い出してきたところ、次の週末に差し掛かりました。金曜日の午後から今回の目玉となるヨセミテ国立公園に向けて出発。ここで一発アメリカの大自然をお見せしよう!!と、夫婦の鼻息の荒いこと荒いこと。前回とは違うルートからヨセミテ国立公園へ向うことにした。多少もたついた所もあったけれど、順調にゲートをくぐり、Park内の山道Big Oak Flat Road (Highway 120 from Manteca)を走っていた。ホテルにチェックインするのが先?それともこのままグレーシャーポイントへ向う?等と、2泊3日で余すことなくヨセミテを見て頂こうとあれこれ話し合いながら進んでいると・・・・・突然、ばんっ!という大きな爆発音と共に、シエナのフロントガラスが砕けた。

 

あまりの驚くべき出来事に誰もが混乱し、一瞬車内は静寂に。お父さんが車を道の脇に停め、原因を突き止めるべく外へ出た。子供たちも黙って耳をふさいでいた。何も周りにはない。最初は誰もが鉄砲かと思った。しかし周りには私たち以外の車両の姿は無かった。おそらく上空から木の枝が落ちてきて、それが車の走る勢いなどでものすごい威力を持ってフロントガラスを砕いたのだろう。

 

まず最初に出た言葉が「ごめんね・・・・」だった。このヨセミテで両親をう〜んと喜ばそうと思っていたのに、全てがおじゃんになってしまったことに対するお詫びの気持ちからだった。当たった場所が運悪く丁度運転席の前で、前方がよく見えないのでこのまま運転はかなり困難。AAAに電話するも「どこかの修理工場までTowing(牽引)するしか出来ない」と言われる。そんな訳で、とんでもない波乱万丈なヨセミテ旅行となってしまったのでした。詳しくは、いずれ旅行記にでも書くとして、破損したフロントガラスの写真とちょっとは遊べた様子の写真を載せておきます(ペアルックは両親です)。

 

今だから笑える(笑えないか・・・・)旅行から無事に帰宅した一行は、無事の帰宅を祝してまたまた宴会(^^;)翌日の父とお父さんと2人の共通の知人Hさんとのゴルフも当然キャンセルとなり、踏んだりけったりでした。不幸中の幸いは、Hさんが「それならば奥様もご一緒にランチだけでも」とお誘いしてくださり、両親とお父さんを家まで車でお迎えに来てくださりイタリアンレストランに連れ出してくださったこと。その晩も最後の宴会をし、翌日、両親は日本へと帰って行きました。

 

連日続いた宴会がとっても楽しかった私と並んで、連日続いた遊戯王のカードゲームがとっても楽しかった旦。両親が帰宅した後、私に向って「Can you play YU-GI-OH?Like おじいちゃん・・・・」とつまらなさそうにしていました。こんな滞在だったけれど、楽しんでくれたかしらん?忘れられない旅行となったのは、紛れもない事実でしょう。

 

通信を書くにあたって写真を選ぼうと思ったのですが、今回はほとんど写真が無いことに気付きました。なぜならお抱えカメラマン(父)がいたから。一眼レフを持参していたので、隙あらばパシャリ!私が給油する姿もパシャリ。買い物した店の前でも中でもパシャリ。すっかりカメラ係のお株を奪われてしまいました(^^;)そうそう、ここに滞在中に「父は1曲作詞作曲したらしい」と母から聞いたのだけれども、披露してもらい忘れました。次回お会いする時には、ぜひ2人のハーモニーを聴かせて下さいね。

 

いちほ(8/20/03)

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